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20141213

PARCOの壁に絵を描いてた時に高い脚立に登って絵を描いてたら集まってきた人(ファンかどうかは不明)がローアングルで写メを撮ってくるので

「すみません私は絵を描いてるだけだし人間なのでやめてください」

って言ったけどあんまり言葉が通じなくてずっと周りをうろうろしてて怖かった 腰のあたりに星のプリントがあるTシャツを着てたら酔っ払ってウイスキー飲みながら見てたオタクに星にぶっこみてぇ~~(エロい意味で)とか言われたので、もう私に関わらないでください、と言った。なんでこっちが「ください」って頼まなきゃいけないんだろう 職場でこんなこと言ったらセクハラというか犯罪で訴えられると思う。その時のTシャツはもう着れなくなった。私は人当たりがいいのでつい気が大きくなって犯罪のようなことに走ってしまったのではないか 犯罪を避けるためには他人を威嚇して生きなきゃいけないのかと思うと本当に嫌気がさす。20歳くらいの時に「人間は自分が攻撃されないと感じた相手に対しては概ね想像力をなくしてしまう」っていうことに気がついたけど、私は人を威嚇したり攻撃したり見下したりするのが嫌で嫌で、嫌で嫌で、嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で仕方なくて人を傷つけるくらいだったら自分が傷ついたほうがよっぽどましで
だってひとを傷つけたらその痛みがどれくらいかわからないから痛みっていうもの自体に対して鈍感でアバウトな感覚を抱いたままで生きていかないといけなくてそんなに麻痺した状態で自分がどれくらい生きていられるのか全く自信がなくて私は
どこにいても赤い色がまっさきに目について、痛みが一番先にあってよろこびとかかなしみとかいかりとか全部その後で痛みの後で五感を揺さぶるものは全て鮮やかすぎるからただ生きてる
2014-12-13 : 未分類 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

東京に住んで何年も経つけど住めば住むほどすごい土地だなと思う。ここにしかない多様な価値を認めてくれるコミュニティーが確かにあるんだけど、住む為、居続ける為には圧倒的なコストを支払い続けなければならなくて、それは「こんなにたくさんのお金を支払い続ける程の価値が有るんですか?」と自分自身の価値が常に問われているということだ。
「実家帰れ」って言葉は「あなたにはコストに匹敵する価値がない」っていう意味だし撤退を拒否する為の消耗戦線が都心から離れるほど少しずつ緩やかになだらかになって展開されている、という状況が中央線沿いに住んでいるとすごくよく見える。
価値を獲得する為の戦いはいつだって孤独だから、東京っていう場所は孤独、だし、私にとって価値を見出す為の孤独は幼少期から慣れ親しんだ最も親愛なる友みたいなものだから育ってない土地なのに故郷。多分ずっとここにいる。この頃は千葉よりインターネットの方が東京だけど地理じゃなくて東京にいると思う。戦場。ディズニーランドがほんとの東京にあったらいいと思う 渋谷から徒歩2分くらいのとこに。そしたらみんながもっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっと無我夢中で東京にしがみついて混沌、極彩色と紫の霧に染まった東京が真昼間から無数の悪夢で摩天楼と化して おもしろい、多分
2014-11-30 : 未分類 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

ポエム「銀次のクリスマス」

【事前アナウンス】

このポエムは『立て替えで長年住み馴染んだ住宅がものの時間もなく破壊されていく過程』を極めて主観的、もしくは群像的に描いたものですが、事前アナウンスしないと絶対に伝わらないと思ったのでご説明させて頂きました

【以上でございます】






苦いコーヒーが格別に口からたれている
家が42分で潰れていくのをつぶさに観察している
お隣に縄梯子をかけている
よろしゅうございますか?私がイエスと答えたらあなたはすかさず「yes」
あ、あ、あ、今まさに、今まさに、あ、あ、今まさに、あ、まさに、今、まさに
天井から吊るされていたシャクヤク。窓際のニューホーミングクレンザー
だめだめ。やっぱりもどしてくださいお願いします。金はないけどなんとかして
金はないけどなんとかして
金はないけどなんとかし
金はないけどなんとか
金はあいけどなんと
金はないけどなん
金はないけどな
金はないけど
金はないけ
金はない
金はな
金は

窓に亀裂、シロアリの避難、お隣で犬がベーコンにされている。母屋から離れたプレハブから泣き声。
あっ、おばあちゃんまだ生きてたの、すごい生命力。
「ところでこちらの更地には何をたてるのでしょう」

クリオネが大量に湖に浮いている。

網のようなものですくって片付けるもどんどん涌く。しょうがないので矢継ぎ早に餅焼き網で炙るも、ほぼ水だからなくなっちゃう。全然食べるところがない。全然食べるところがない。どっかいっちゃう。



このアパートは最悪だ。



家賃は安いが一階がカレー屋なので常日頃カレーの匂いに苦しめられ風呂に入ってもすっきりの一切がなし。ネパール人が、いつでもカレーを食べにこいという。カレー屋に座すとナンをお代わりするかしつこくきいてくる。しつこい。あげくのはてにお代わりしたナンも含め全て金を取る(妙に高い)部屋に戻り10回強くジャンプをした。このたびカレー屋が潰れると聞いた。ピ〜ス。店に行くときゃつが今度こそタダでカレーを食わす空になるまで食べろというのでそうする。食べ終わるとネパール人が燃えている。死にそう。どうにも熱いと思ったが香辛料の作用ではなかったのか。なるほど。さっきから「ボーボー」五月蝿い理由も合点した。人が、燃えているが今までの匂いの苦しみを思うと衝撃とすがすがしさが釣り合ってそんなに心が動かないので腰を据えて様子を観察。皮膚が逆立って変色していく過程。ネパール人は何か言いたげに口をパクパクさせていたがそこから泡が溢れだして動かなくなった。三日後カレー屋はなくなった。新しい店ができる気配がないので今ではカレー屋の空き物件に住んでいる。



思い出の縁側が今音を立てて、あの庭に転がっている茶碗は父が生前に陶芸教室で絵付けをしたoh!!犬の、ベーコンいかがですか?完成間近でございます。閉じ込めたおばあちゃん介護無理投げ出し。家族の団らん。




あの土間には見知らぬ猫がよく来ておりました。三本足の猫でございます。それでも、うちはずいぶん辺鄙な場所にありますから主人も子供も猫をずいぶんかわいがってキュウリのぬか漬けやらクリームシチューのあまりやら与えてなつかせていたんです。けれども、ある時長男が手水場で猫の足を一本見つけて。それ以来気味が悪くなって猫が家に近づこうとしても追い出していたのです。それでもみゃあみゃあいいながら家に入ろうとしてくるものだから主人がホウ酸ダンゴをたくさん買ってきて家の周りにずらりと並べてしまいましたの。そうして2、3日もしたら、家の周りのホウ酸ダンゴはほとんど食い荒らされていてしまって、猫もすっかり見かけなくなりましたわ。それはよかったのですけれども、三ヶ月後に主人が事故にあい片腕をなくし、その三ヶ月後には長男が事故で両足を失って、またその三ヶ月後には次男が右手以外全て失いました。さらにその三ヶ月後、長女がダルマになってしまいました。それから今日で三ヶ月目に入ります。




わたくし、なんだか生きた心地がしませんの

2013-12-19 : 未分類 : コメント : 1 : トラックバック : 0 :

イラストレーター安藤晶子さんが個展をするので紹介文を書きました。

私は安藤晶子を1つの「あんどう」として認識する。その理由。



andoakiko.jpg
「rose hunter」


 生まれて初めて輪切りにしたオレンジの断面を見た瞬間、私はなにを思ったのだろう。覚えていない、思い出すこともできない。すでに追憶できないほどプリミティブな体験である。しかし想像してみる。オレンジの断面を見たときの、皮に包まれた状態からは想像もつかない鮮やかな裏切りと、同時に感じられるオレンジ色の粒、封じ込められた果汁の緊張、これ以上ない程のオレンジみ。断面を見るに付け「嘘みたい」と思いながらも、その堂々たる放射状の輝きに「あなた様こそがキング・オブ。オレンジでございます」と口をつぐんでしまう。違和と納得が交錯し像を生む。ここではない、どこか、イメージの原型に折り重なる。安藤晶子のイラストレーションを見るという行為は、そういったみずみずしい体験に満ちている。大胆なデフォルメーション、あらぬモチーフの変形、唐突に織り交ぜられる奇妙な柄。それなのに違和一つ感じさせないのは、イラストレーションが安藤晶子の生活から驚くほど地続きに生まれているからだ。安藤晶子は奇跡的なバランス感覚で無数に浴びせかかる認識の網の目をかいくぐってみせる。危うさ一つ感じさせずに、ごく当たり前のように。万人に真似できることではない。だから安藤晶子はそのままで存在していることが最も面白いし奇跡的だと信じて疑わない。



andoakiko2.jpg
「ボガレフと私」



 和菓子屋の店先のガラスに「あんどう」と書いた紙が張ってあるのを見た。店主のおじいちゃんが「これは、アンドーナッツの略だ」と答えた。強い衝撃を受けた。おじいちゃんはなんら意表をつくつもりもなく、長いから縮めてしまえというくらいの気持ちで「あんどう」と書いただけだ。しかしながらその大胆すぎるデフォルメのせいで、アンドーナッツの「あんどう」に対して人格のようなものや、かわいらしさ、おじいちゃんの愛情など多くのものを感じた。この現象は、安藤晶子のイラストレーションを目撃した瞬間の体験に似ている。そして「あんどう」という奇妙なまでの符号の一致。私は安藤晶子を1つの「あんどう」として認識することにした。

 意図を裏切り飛躍する図像。多くのイメージが一枚のイラストレーションを通じて交信される。それだけで安藤晶子のイラストレーターとしての才能を感じるのに充分だ。


安藤晶子

イラスト http://akikoando.tumblr.com/
ツイッター https://twitter.com/kokia0414

イラスト展「SHE」 

she.jpg


at 百年(吉祥寺)
2013.10.23(Wed)-11.11(Mon)
詳細HP
http://www.100hyakunen.com/events/exhibition/20131003997.html

文:水野しず
イラスト:安藤晶子
2013-10-11 : 未分類 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

「よろしくお願いします」を言うのタイム

 バイト先に新しい人間が加入してきた。各々が一人ずつ順繰りに「よろしくお願いします」を言うのタイムが始まり、私の順が来たので、こなしの要領で「よろしくお願いします」を言ったら、「全然“よろしく” の感じではない」「安定のやる気のなさ」などの意見を賜った。
いやー、でも何の感慨もないのに「初回」というだけの理由で感情を高ぶらせるのもおかしいというか。
 そもそも複数の人間が円状に集い、最初の人間が「よろしくお願いします」との口火を切った時点でその後数分感の流れは完全に予想がついてしまうのだから、律儀に一人一人同じことを言うのもどうか。傘連判状(一揆を起こそうとする農民が集って円状に書くアレ)でも書くのだったら分かるけどわざわざ同じことを繰り返すのだったらそれなりのスリリング感が欲しい。例えばもう少し同じ言葉の繰り返しの中に各々のキャラクター性が表出してるとか、同じ言葉が意味合いを変化させながらバトンタッチしていくとか。


 いや、もちろん「予定調和であることを折り込んだ上で、歓迎の意、を表明する為の儀、なのであるからそういった言説は野暮。むしろ一定の時間を要して意味のなさを通過するところに意味があるのです」と言った意見も最もだと思うんだけど、あまりに無難で。もっと攻めていきたいというか。限られた時間を生きるしかないのにそんな姿勢での存在が耐えられないしもっと濃密にやっていきたいというか。あっ、ほら、「特定の区切りで観測された時間」ということだけをもって鑑みると皆大体に置いて平等なんだけれども、それはグラフの横軸だけに注視した見方であって、グラフの『縦軸』を含め捉えてみると、「極めて濃厚な瞬間に置ける永遠」も「シャバシャバに薄まったカルピスのような一時」も同じタイムライン上に乗っかって流れているのですニコ動のつまんなおもしろいコメントみたく。「その場限り」とか「その場しのぎ」じゃまるで意味なくて。だって本当は未来なんて観測できないのに過去が自分の後ろに真っ直ぐのびているなんて絶対嘘なのにこの上なく貴重な今ここにいるあなたとの出会いはぜったいにぜったいにぜったいにぜったいに二度と二度と二度と二度と二度と二度と二度と二度と二度と二度と二度と二度と




「よろしく」




違う。絶対、絶対に違う。

もっと肉薄したい。蚊の鼓動くらいでいいのであなたが魂を振るわせてそうしたら私は。絶対にお前を発見するそうして二度と見失わない私が、信じることができるのは唯一それだけで唯一のそれだけで私。は、せかいじゅうを満たしているしんどうのブレが発した思いつきや気まぐれで歪みを遊ぶように生きている。最終的に光がすべてを包括する瞬間残響や残像は響くしなくならない。
2013-08-16 : 未分類 : コメント : 1 : トラックバック : 0 :
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