スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-------- : スポンサー広告 :

絵とインターネットがないと生きれない、っていうと引きこもりみたいだけどそうでもない

@umezawakazuki: インターネットをやっていて本気でセンスがあって天才でこいつは明らかにすごい、誰がなんと言おうと俺は絶対に素晴らしいと思ってしまうくらいの才能は意外とけっこうポンポン見かけるけどどんどん美大に入ったり就職したりしていってなんの才能の開花もなく作ることなどを辞めていく。
@umezawakazuki: それなりに評価されるのは偶然運がよかったりちょっと人と話すのが得意な奴だったりくらいで、それ以外の奴らはびっくりするくらい才能とかセンスみたいなものをすり減らしていく。なぜなのか。よくわからない。6年か7年くらいの観測範囲だけど、良い才能を持っていても評価されないことは全然ある。
@umezawakazuki: 俺の観測範囲だと学校ですり減らす奴が圧倒的に多い。個人個人で話すと血の滲むような精神のすり減らしの末に確立した自我のようなものをなんとか作品と呼べるものとして形にしようと努力してるのに、ゼミの発表で下らない物を作って思ってもないことを講評で話す。このループになんの意味があるのか。
@umezawakazuki: せめて俺がいいと思う奴だけでも才能が枯れない世の中であって欲しい。

梅沢和木(梅ラボ)さんのツイートより


環境をコントロールする能力(資本、生命力、危機感、逃げ足の速さなど生きる力全般)を持ってないと才能もセンスもすり減ってなかったのと同じになってそういうふうになると顔の表面の作りが凹凸にしか見えない人になって、(私の脳内ではひらがなの「み」に似たような形に画像処理される)存在が確信できなくなって私の世界からさよならも言わずに消える。持ってるものを生かせないのは、なにもないのより多分辛くて、枠組みとか外側の基準みたいなものを撤廃してかないとどんどん死ぬ。みんな死ぬ。かなしいくらい死ぬ。手段を選んでると死ぬ。
「顔を出さなかったらお前の作品なんか見るやついねーよ」っていうことを言われて、その言葉で心は動かないけど、確かに見てくれる人ゼロにはならないけどけど減るだろうなとは思う。私は自分の感性や能力に疑いを持っていないけど力不足を感じることは死ぬほど多くて作家として飢餓感に苛まれる。でも人間の生き方に勝手な正義感でダメだしをしてくる人の方が明らかに害悪だと思う。必死で存在しようとすることのなにがおかしいんだよ。生き物としては明らかに私の方が真っ当だと思う。ねむねも(先日放送されたテレ朝配信番組http://logirl.favclip.com/article/detail/5656976453271552)で話したんだけど絵が大好きなのに描くのが苦しく苦しくてしょうがなくて本当に辛かった時に私の心を救ってくれたのは枠組みの中で陰キャってた絵画じゃなくてねむきゅんの『かわいさ』だった。美術とアイドルの曖昧な混乱は明確に意図されたものなのでそれがアートかどうかについては言及しないけど心を惹きつけない、言葉で言い表せないような魅力を纏っていない表現は「生産性のない徒労」と断言できる(自分が枠組みの中でやっちゃった徒労への自戒)表現のフレーミングに作者が含まれていくことってSNSが普及した時代へのマッチングだと思うし私は他の生き方分かんない、てか考慮に値しない。水野しずは無根拠バイアスへの徹底無責任の姿勢を崩しません。応援よろしくね


※環境が同じ(学部の先輩)だったので励みになる点が多かった梅沢さんのインタビューへのリンクを貼っておきます
http://utukiku.nolca.jp/?p=132



スポンサーサイト
2015-04-08 : 未分類 : コメント : 4 : トラックバック : 0 :

赤木しげるは存在する

私は身体の部分的な損傷や衣類の欠損に注意が向かないので、ケガをしてたり汚れたり破れた服を着ていることが多い。そして大抵身体のどこかにはアザがある。押井守のイノセンスっていう映画で草野素子がアンドロイドの義体に人格をインストールして封鎖されたハッチを力づくでこじ開ける場面で、リミットを超えて力を伝達した腕の皮膚が破れて内側が崩壊しながらハッチを開いていくシーンがあって、私はその身体の用い方に共感する。生きてるってことの価値を身体の保持(もっと広く言えば生殖とか)よりもハッチを開けようとする意思に強く感じて、まあそれは別に特殊なことじゃない気がするけどそのバランスが少し極端なんだと思う。もっと極端なことを言えば生きるとか死ぬとかもどうでもよくて、生きるには「生きる」と「死ぬ」が両方あって、死んだ後も同じように生と死が両方あるような感じがするから特にこだわりがない。本格的に死ぬのが怖いとかいやだとか思ったことも一度もない。周りの人間がいやっていってるのを見てファッション感覚で少しだけマネしてみたことはあるけど。だから死ぬとかよりも意思が果たされないことの方がずっといなくなる感じがしていやだと思う。赤木しげるっていう人が(人間じゃなくて漫画に出てくる人物だけど)アルツハイマーになったから自分で死んだ時に似たようなことを言ってて、ああやっぱアカギ好きって思った。アカギ好き。赤木しげるは存在する。
2015-04-07 : 未分類 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

36世紀のプレイステーション

ハワイアンミュージックって「生の対岸には死があり境界線はグラデーション もっと濃厚に死を纏うことでより楽園 ようこそ どうぞ いらっしゃいませ」の感じがして実際そういった風土の場所で聴くというか体を預けるのはいいが、東京で、この昼間から偏執狂じみた執念で均一な明かりを空間に覆って死をマスキングした都市で急に脳身体に入りこむと生きた心地がなくなるからフレッシュネスバーガーとかからハワイアンミュージックが漏れ聞こえてくると死んじゃう。震災直後、節電で昼間の電車内の明かりが点いていなくてあの空間はとても心地よかった。死は緩やかな繋がりを感じるから人間の密集がいやじゃなかった。本当はあるのに、死が、バレないように隠していることができなくて隠せなくて、気まずい。特にエレベーターの中とか。小学生の頃いつも手放せなかったゲームボーイは電池がなくなってくると赤いランプの点滅が薄っすら消えてきて画面の表示が薄らいじゃってだんだんなくなって動かなくなったあとも画面に液晶が少し残っていた。残響。エレベーターに乗った時に他の人の意識だけその場に少し残ってるのを感じることがあってゲームボーイを思い出した。そういう気配でしか、他の人間が本当に生きていることが、わからない。ゲームボーイとかファミコンとかロクヨンみたいなROMカセットのゲーム機体からは人間の体と同じような気配とか念を感じるんだけど、プレイステーションとかゲームキューブみたいなディスクのゲーム機体は生きた気配を纏っていない。冷たい。でも人間が作ったものだから36世紀くらいになったら人間の生きるもプレイステーションみたいになるのかなとか思う、ハンターハンターのグリードアイランド編でゴンとかキルアがプレステに念を送って意識の世界で生きたみたいな、アレッ、生きてるのか死んでるのかわからなくなってフワフワしている。
2015-03-28 : 未分類 : コメント : 1 : トラックバック : 0 :

できない

私はあんまり映画を見ない。

映画館へ行かないから映画の知識が全然なくて映画通とか映画好きとか、それでなくても通り一遍の娯楽として映画を享受している人たちが映画の話をしていると映画のことがほとんどなにも分からないので少しさみしい。どれくらい分からないかというとジョージクルーニーとかブラッドピットとかキャメロンディアスとかの顔も分からないレベルである。名前は聞いたことあるけど。小学生の時テレビを全然見せてもらえなくて「古代人」ってあだ名で呼ばれてたことを思い出す。それでも映画を全然見ないのはなんでなのかお風呂につかりながらぼやっと考えていた右手右足左手左足腹背中への浮力、頭首重い

映画見ない、っていうより
映画見れない、って感じか

考えたらわりとすぐなんでか分かった。私は絵を描いてないと生きてる感じがしないから平均して2時間くらい絵が描けない環境下に置かれるのがストレスなのだった。当たり前だけどフツーに生活して、ここでのフツーってのは私にとってのフツーって意味だけど、絵を描いてる時間よりも描いてない時間の方が長い。でも描こうと思ったら描けるっていう時間の方が多い。というかそんなに絵ばかり描きたかったら絵を描く時間ばかりの仕事をすればいいじゃないかと思うかもしれないが、仕事で描く絵で魂の充足を得られるかというと必ずしもそうではないので難しい。ほっといて私が描く絵はこの世でなんの役に立つのかさっぱり分からない少しだけ表情が違う同じ顔を何回も何回も描いたようなのばかりだし。多分私には今の私の生き方とか働き方が一番適しているしギリギリのところだと思う。電車の中でもクロッキー帳とペンがあれば描けるし混んでても、どうしても絵が描きたくて堪えられなくなったら降りればすぐに描けるとおもったら困らない、し、お風呂に入っててもガマンできなきゃすぐ出て描けばいいしその時髪の毛がシャンプーでアワアワだったら気が済んでからまたお風呂に戻ればいいし、人とお茶とかご飯してるときはもちろん描くし打ち合わせでも描くし家にいる時も描くしさんぽしてても歩きながら描くこともある。少なくとも描くための道具と光と空間と拘束されていない身体がある。重要なのは描ける環境下にあるかどうかだ。美容院では描けないし1~2時間くらい拘束されてしまうので自分からα波を出す。(寝るのが好きなのでわざとα波を出すの得意)α波というか副交感神経が働いて身体と頭が緊張によって生じる自我の輪郭をおぼろげに手放してまどろんでいる間は絵がなくても平気だ。だからα波を出せないような緊張感を強いる(好んで威嚇してくる)人間に髪の毛を切られて1時間以上拘束されるととてもツライ。あっ、ツラそうだなと思ったら「時間がないので適当でいいです」と言って30分くらいで終わらせてもらったりする。以前は髪の毛にたいして頓着をしなかったので半年~一年くらい髪の毛を切らなかった。おかっぱにしてからはシルエットが崩れるのがイヤで1~2カ月に1かいくらいで行くからわりとシビアな問題だ。あとは人とコミュニケーションをとっている時もわりと絵がなくて平気。絵がなくてもけっこう生きている感じがするからだ。あと活字か絵を見ている時も描かなくてもあまり気にならないので本とか漫画を読んでいる時も充足している。絵や活字を見ると目の前にいる訳じゃないけど書いたり描いたりした人とコミュニケーションとれるし、しかもこっちは時間制限がなくて自分の時間軸で好きなだけ相手の意図を汲み取って読み込むことができるから楽しい。それに比べて映画はヤバい。時間制限あるわ、なんだか私が苦手な集団性が醸し出すルール的言語にアクセスするということをしなければならないわ、2時間暗闇に拘束されるわで苦手尽くし。それでも人と一緒に観に行くと映画鑑賞しつつも一緒の人間とのコミュニケーションでもあるから不思議と映画が観れるのでどうか映画館に行く際は誘ってくださいっていうことをいつも思っています。誘ってください。去年は一ヶ月くらいずっとゼログラビティーが見たいと思ってアイマックスの施設がある駅の交通事情と近辺の施設まで調べてメモ帳に保存していたのにやっぱり2時間の緊張が気になって結局見れなかったのです。可哀想でしょう。あと自分ですごいと思うのは、これだけ絵ばっかり描いて、もしくは絵のことばっかり考えているにも関わらず一向に絵が上手くならないのが本当にすごいと思う。才能だと思うここまで絵が上達しないのは。本当に。
2015-03-15 : 未分類 : コメント : 1 : トラックバック : 0 :

水野さんすごい光ってませんでした?

今日は眠たくて意識がまどろんでいた。

怠惰。そんなの全然望んでないのに。
意識をぼんやりさせてしまった油断に腹が立つ。
完全に自分のペースで生活をしているから昼夜が逆転していて14時から打ち合わせって分かってたのにぼんやりして意識がまどろんで、弛緩して総武線を5駅くらい乗り過ごした。
遅刻。相手は予定いっぱいある中で私に時間を作ってくれて、最大限協力してくれたのに、私のことを一個も馬鹿にしないでちゃんと見てくれたのに頭が働かなくて全然本来持ってるはずの力を発揮できなくて自己嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪銀座は馬鹿な自分に活を入れたくて打ち合わせしてた銀座でわざわざ高い珈琲を飲んだ。自分の感性と知性がまるで役に立たなかったこと、ふがいなさでやっと目が覚めて、ぐだぐだしてる場合じゃなかったこと、ああっ、歩きながら銀座が違うふうに見えた。銀とかの座、資本社会の一部を飼いならして作った変なオブジェみたいな看板、今私が最高にリンクしてない切り取りの現実の部分 生きろよ 資本が動くのは愉快じゃん正直に愉快じゃんそれをやれよ
みんなしがらみとか制約とか無数にある中で思考とか提案をしてるのにほぼなんの制約もない私がやる気をなくしたらだめじゃん 自分の生き方はシステムの外側だから生きることを続行して生きてるだけでも関わってくれた人の煩慮や苦慮が生じ続けてるんだから張本人のくせに現実味が薄れるのって根本的に人間を馬鹿にしてるみたいだから そんな人間価値ないから
ほんと後悔って気持ちが発生した瞬間にはなにもかも死んでる
死ぬのに、絶対死ぬのに。目先の感覚にとらわれて無駄にして馬鹿すぎ一生それで終わったらつまんなすぎ
覚醒と弛緩がコントロールできなくて、芋づる式に人生全体が面倒って感じの不毛なドロドロに意識が引きづり込まれて、命の安全だけドロドロ抱えてる生き物になったら辛い、田舎で自分が檻の奥の方に繋がれて世の中とか他者がすっごく遠くて檻の隙間から十二分の栄養の餌だけを与えられてただただ生きててやるせなくて苦しくて悲しくて自我と愛に餓えて餓えて欲しすぎて欲しすぎて半径数メートルの白紙だけの世界をずっと見ていた時みたい、どうして、どうして自分から安全と怠惰と退屈と緩やかな死しかない檻に戻ろうとするのか自分で理解に苦しむ滝に打たれたい

ちょっと前にaskで自己発信に悩んでいる人への回答のバリエーションの中で滝に打たれることを提案したらジョークだと思って笑ったとか感想を貰ったけど(ありがと)私は全然ジョークのつもりじゃなくて本当に滝に打たれたらいいと思ってるし打たれたい。滝に打たれてアアッ、これは本当にもう少しで死ぬって思ったら目先の怠惰な身を守りたいっていう欲求にちょっとくらいは冷静に対処できると思う。今迄の私は精神には向き合ってきたのに肉体が怠惰極まりなくてだらしなくて、いい加減本当に恥ずかしいからもうねむいとか(肉体的に)面倒とか惰性で口に出したくない。冷静に判断した上で強い確信と根拠を持って「めんどくさい」と言いたい。言葉を雑に発したくない。肉体の経験とか根拠をもっと増やしたい。(ヤッパリ苦手だからちょっと恐怖があるけど…)だから滝に打たれるって現実的に考えてすごく効果的だと思う なんにもしなくても時間の流れの経緯させることはできるじゃない少なくとも肉体的には それが本当にいや それなら今すぐ猛烈な覇気を放って死んだ方が絶対後悔ないじゃない
死の直前は肉体に残ってた生命維持のエネルギーを全部瞬間の命に注ぎ込んで轟々光りたいよね、でネテロ会長みたいに果てて死にたいよね「水野さんすごい光ってませんでした?目の錯覚?でも光ってましたよね」って言われたい 死後
2015-02-04 : 未分類 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
ホーム  次のページ »

プロフィール

shizu

Author:shizu
水野静(みずの しず)
twitter:320_42

最新トラックバック

カテゴリ

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。