スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-------- : スポンサー広告 :

36世紀のプレイステーション

ハワイアンミュージックって「生の対岸には死があり境界線はグラデーション もっと濃厚に死を纏うことでより楽園 ようこそ どうぞ いらっしゃいませ」の感じがして実際そういった風土の場所で聴くというか体を預けるのはいいが、東京で、この昼間から偏執狂じみた執念で均一な明かりを空間に覆って死をマスキングした都市で急に脳身体に入りこむと生きた心地がなくなるからフレッシュネスバーガーとかからハワイアンミュージックが漏れ聞こえてくると死んじゃう。震災直後、節電で昼間の電車内の明かりが点いていなくてあの空間はとても心地よかった。死は緩やかな繋がりを感じるから人間の密集がいやじゃなかった。本当はあるのに、死が、バレないように隠していることができなくて隠せなくて、気まずい。特にエレベーターの中とか。小学生の頃いつも手放せなかったゲームボーイは電池がなくなってくると赤いランプの点滅が薄っすら消えてきて画面の表示が薄らいじゃってだんだんなくなって動かなくなったあとも画面に液晶が少し残っていた。残響。エレベーターに乗った時に他の人の意識だけその場に少し残ってるのを感じることがあってゲームボーイを思い出した。そういう気配でしか、他の人間が本当に生きていることが、わからない。ゲームボーイとかファミコンとかロクヨンみたいなROMカセットのゲーム機体からは人間の体と同じような気配とか念を感じるんだけど、プレイステーションとかゲームキューブみたいなディスクのゲーム機体は生きた気配を纏っていない。冷たい。でも人間が作ったものだから36世紀くらいになったら人間の生きるもプレイステーションみたいになるのかなとか思う、ハンターハンターのグリードアイランド編でゴンとかキルアがプレステに念を送って意識の世界で生きたみたいな、アレッ、生きてるのか死んでるのかわからなくなってフワフワしている。
2015-03-28 : 未分類 : コメント : 1 : トラックバック : 0 :
コメントの投稿
非公開コメント

承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2016-12-18 18:47 : : 編集
« next  ホーム  prev »

プロフィール

shizu

Author:shizu
水野静(みずの しず)
twitter:320_42

最新トラックバック

カテゴリ

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。